こんにちは!占いちゃんは考えた編集部です😊 突然ですが、みなさんは神社に参拝するとき、「ここに祀られているのは、なんの神様なんだろう?」って気になったことはありませんか?
神様のお名前やご利益を知ってからお参りすると、なんだかより深く神様と繋がれるような気がして、お願い事も届きやすくなるような気がするんですよね🙏✨
そこで今回は、愛知県津島市に鎮座し、全国に約3,000社ある津島神社・天王社の総本社である「津島神社」について、徹底的に掘り下げていきたいと思います!
「津島神社って、なんの神様が祀られているの?」 「どんなご利益があるのか詳しく知りたい!」 「歴史や見どころも気になる!」
そんなあなたの疑問に、まるっとお答えしちゃいますよ💕 この記事を読み終わる頃には、きっとあなたも津島神社に参拝したくなっているはず。ぜひ最後までお付き合いくださいね🌸
津島神社ってどんな神社なの?まずは基本情報をチェック!
まずは「津島神社」がどのような神社なのか、基本的な情報から見ていきましょう。格式高い歴史と、見どころ満載の境内について知ることで、参拝が何倍も楽しくなりますよ!
全国に約3,000社!津島神社の総本社としての歴史と格式
「津島神社」と聞いて、愛知県の神社だとすぐに思い浮かぶ方は、かなりの神社通かもしれませんね。実は、津島神社の名前を冠する神社は全国にたくさんあるんです。その数、なんと約3,000社!そして、今回ご紹介する愛知県津島市の津島神社は、そのすべての神社のトップ、つまり「総本社」という、とっても格式高い神社なんですよ。すごいですよね!
その歴史は非常に古く、創建はなんと神武天皇の時代にまで遡るとも言われ、公式な記録でも欽明天皇元年(540年)と伝えられています。今から1480年以上も前のことですから、どれだけ長い間、この地で人々を見守り続けてきたのか、想像するだけで心が震えるようです。古くは「津島牛頭天王社(つしまごずてんのうしゃ)」と呼ばれ、地元の人々からは親しみを込めて「津島の天王さま」として崇められてきました。
この「牛頭天王」という神様の名前、後ほど詳しくご説明しますが、津島神社の神様を知る上でとっても重要なキーワードになるので、ぜひ覚えておいてくださいね。この牛頭天王への信仰は「津島信仰」として全国に広まり、各地に津島神社や天王社が建てられるきっかけとなったのです。
津島神社がこれほどまでに篤い信仰を集めた理由は、その絶大なご利益にあると言われています。特に「疫病除け」の神様として、その名は全国に轟いていました。医学が未発達だった時代、疫病は人々の命を脅かす最も恐ろしい災いの一つでした。人々は神様に救いを求め、津島の天王さまに必死に祈りを捧げたのです。
そのご神威は、時の権力者たちの心も動かしました。例えば、あの有名な戦国武将、織田信長公。彼は幼少期に病気にかかった際、津島神社に祈願して快復したという逸話が残っています。その恩に報いるため、信長公は神社の社殿の造営に協力するなど、手厚く保護しました。さらに、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉公も、母である大政所の病気平癒を祈願し、見事に成就したことから、神領を寄進しています。江戸時代に入ってからも、尾張徳川家から篤い崇敬を受け、幕府からも特別な保護を受けていたのです。
このように、朝廷から武将、そして庶民に至るまで、幅広い階層の人々から信仰を集めてきたのが津島神社です。全国に広がる約3,000社の分社は、まさにその篤い信仰の証と言えるでしょう。長い長い歴史の中で、人々の切実な祈りに応え続けてきた、日本を代表する偉大な神社の一つなのです。
アクセス方法と境内の見どころ
さて、そんな由緒ある津島神社、ぜひ一度は訪れてみたいですよね!ここでは、アクセス方法と、訪れた際にぜひ見ておきたい境内の見どころをご紹介します。
【アクセス】
- 電車の場合:名鉄津島線「津島駅」で下車し、そこから徒歩で約15分です。駅からの道のりも、歴史ある門前町の雰囲気を楽しみながら歩くことができますよ。
- お車の場合:東名阪自動車道の「弥富インターチェンジ」から約15分、または「蟹江インターチェンジ」から約20分です。神社には参拝者用の駐車場も完備されているので、安心してお出かけできます。
【境内の見どころ】 津島神社の境内は、歴史の重みを感じさせる荘厳な雰囲気に包まれています。見どころもたくさんありますが、特に注目してほしいポイントをいくつかピックアップしますね!
- 楼門(ろうもん):まず参拝者を出迎えてくれるのが、豊臣秀吉の寄進によって建てられたと伝えられる、壮麗な「楼門」です。国の重要文化財にも指定されており、その堂々たる佇まいは圧巻の一言。細やかな彫刻や力強い構造は、安土桃山時代の気風を今に伝えています。この門をくぐると、一気に神聖な空気に包まれるのを感じるはずです。
- 本殿(ほんでん):楼門をくぐり、拝殿の奥に鎮座するのがご祭神がお祀りされている「本殿」です。この本殿は、徳川家康の四男である松平忠吉(尾張藩主)の夫人からの寄進によって建てられたもので、こちらも国の重要文化財に指定されています。檜皮葺(ひわだぶき)の屋根が美しい、日本の伝統的な建築様式「尾張造(おわりづくり)」の代表作とされています。私たちは直接見ることはできませんが、この神聖な建物の奥に、偉大な神様がいらっしゃるのだと思うと、自然と背筋が伸びる思いがします。
- 南門(みなみもん):本殿の南側にある「南門」も、ぜひ見ていただきたい建造物です。こちらは豊臣秀頼が寄進したもので、国の重要文化財に指定されています。桃山時代の豪華絢爛な様式が見て取れる美しい門で、歴史のロマンを感じさせてくれます。
このほかにも、境内にはたくさんの末社が鎮座しており、それぞれに異なる神様が祀られています。ゆっくりと境内を散策しながら、一つひとつの社に手を合わせるのも、心豊かな時間になるでしょう。また、毎年7月の第4土曜日とその翌日曜日に行われる「津島祭」は、豪華絢爛な巻藁船(まきわらぶね)が天王川に浮かぶ、日本三大川祭りの一つに数えられる盛大なお祭りです。この時期に訪れることができれば、より一層、津島神社の活気と神威を感じることができるでしょう。
気になる!津島神社の御祭神は「なんの神様」?
お待たせしました!いよいよこの記事の核心、津島神社に祀られている「なんの神様」について、詳しく見ていきましょう。ここを知ることで、津島神社への理解がぐっと深まりますよ。
主祭神は英雄神!建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)
津島神社の主祭神、そのお名前は「建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)」です。日本神話に登場する、とても有名で力強い神様ですね!一般的には「スサノオノミコト」というお名前で親しまれています。
スサノオノミコトと聞いて、皆さんはどんなイメージを思い浮かべますか?多くの方が、あの有名な「ヤマタノオロチ退治」の神話を思い出すのではないでしょうか。そう、スサノオノミコトは、人々を苦しめる巨大な八つの頭を持つ大蛇、ヤマタノオロチを、見事な知恵と勇気で退治した英雄神なのです。
神話によれば、高天原(たかまがはら)という天上の世界を追放されてしまったスサノオノミコトは、出雲国(現在の島根県)に降り立ちます。そこで、嘆き悲しむ老夫婦と、その娘である美しい櫛名田比売(くしなだひめ)に出会います。話を聞くと、毎年ヤマタノオロチがやってきて娘を一人ずつ食べてしまい、ついに最後の娘である櫛名田比売の番が来てしまったというのです。
これを聞いたスサノオノミコトは、「娘さんを私の妻としてくれるなら、オロチを退治しよう」と申し出ます。そして、強いお酒を入れた八つの樽を用意させ、オロチがやってくるのを待ち構えました。案の定、現れたヤマタノオロチは、お酒の匂いに誘われて八つの頭をそれぞれの樽に突っ込み、ゴクゴクと飲み干して酔いつぶれて眠ってしまいます。その隙を突いて、スサノオノミコトは十拳剣(とつかのつるぎ)を抜き、オロチをズタズタに切り裂いて退治したのでした。この時、オロチの尻尾から出てきたのが、三種の神器の一つである「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」です。
この物語からわかるように、スサノオノミコトは、圧倒的な力で災厄を打ち払う、非常にパワフルな神様です。そのご神徳は、まさに「厄除け」「災難除け」の象徴と言えるでしょう。人生で降りかかる様々な困難や災いから私たちを守り、力強く道を切り拓く手助けをしてくださるのです。なんだか、とても頼りになりますよね!
また、神話の中のスサノオノミコトは、少し乱暴で荒々しい一面も持っていますが、同時にとても情け深く、正義感の強い神様として描かれています。困っている人々を放っておけず、身を挺して助ける姿は、まさにヒーローそのもの。その力強さと優しさで、古くから多くの人々の信仰を集めてきました。津島神社にお参りする際は、ぜひこの英雄神スサノオノミコトの勇ましい姿を心に思い浮かべて、日々の感謝とお願い事を伝えてみてくださいね。
神仏習合の象徴「牛頭天王(ごずてんのう)」との深いつながり
さて、主祭神は建速須佐之男命(スサノオノミコト)であるとご紹介しましたが、津島神社を語る上で絶対に欠かせない、もう一つのお名前があります。それが、先ほども少し触れた「牛頭天王(ごずてんのう)」です。
「え?神様が二人いるの?」と混乱してしまうかもしれませんが、これは「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」という、日本独特の信仰の形が関係しています。神仏習合とは、日本古来の神様の信仰(神道)と、インドから伝わってきた仏教の信仰が、長い年月をかけて融合していった現象のことです。この考え方の中で、「日本の神様は、実は仏様が姿を変えて現れたものである」とされるようになりました。これを「本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)」と言います。
この考え方に基づき、建速須佐之男命は、仏教の守護神である牛頭天王と同一の存在、つまり「同じ神様」と見なされるようになったのです。牛頭天王は、その名の通り、頭の上に牛の頭を乗せた姿で描かれることが多く、元々はインドの神様でした。この牛頭天王は、人々に疫病を流行らせる恐ろしい神であると同時に、その祀り方次第では、逆に疫病を鎮めてくれると信じられていました。
この牛頭天王信仰と深く結びついているのが、「蘇民将来(そみんしょうらい)」の伝説です。昔々、牛頭天王が旅の途中で宿を探していたところ、裕福な巨旦将来(こたんしょうらい)は宿を貸すのを断り、貧しい蘇民将来は、粟の茎で編んだ粗末な座席と粟のご飯で、精一杯のおもてなしをしました。牛頭天王はこれを大変喜び、後日、蘇民将来の一家を訪ねて「これから疫病が流行るだろう。その時、『私は蘇民将来の子孫である』と言って、茅(ちがや)で作った輪を腰につけなさい。そうすれば、疫病から逃れることができるだろう」と教えました。その言葉通り、疫病が流行り、巨旦将来の一族は滅びてしまいましたが、蘇民将来の一家だけは助かった、というお話です。
この伝説から、津島神社をはじめとする牛頭天王を祀る神社では、「蘇民将来子孫家門」と書かれたお札が配られたり、茅の輪をくぐる神事が行われたりするようになりました。茅の輪をくぐることで、心身の穢れを祓い、無病息災を祈願するのです。
つまり、津島神社が「疫病除け」の神様として絶大な信仰を集めるようになったのは、主祭神である建速須佐之男命が、疫病を司る神・牛頭天王と同一視されたことが、非常に大きな理由なのです。明治時代になると、政府の方針で神道と仏教をはっきりと分ける「神仏分離令」が出され、多くの神社で仏教的な要素が取り除かれました。その際に、津島牛頭天王社は公式に「津島神社」と改称し、御祭神も建速須佐之男命であることが明確にされました。しかし、今なお人々の心の中には「津島の天王さま」として、牛頭天王への篤い信仰が深く根付いているのです。
ほかにはどんな神様がいるの?相殿神と配祀神
津島神社には、主祭神である建速須佐之男命の他にも、たくさんの神様が祀られています。これを「相殿(あいどの)」や「配祀(はいし)」と言います。主祭神をサポートするように、同じ社殿の中にお祀りされている神様方のことです。
津島神社の本殿には、建速須佐之男命の「御子神(みこがみ)」、つまりお子様にあたる神様が四柱、相殿神として祀られています。 そして、もう一柱、とても重要な神様が相殿に祀られています。それが、建速須佐之男命の息子(または六世の孫とも)とされる「大穴牟遅命(おおなむちのみこと)」です。
「おおなむちのみこと」というお名前には、あまり馴染みがないかもしれませんね。でも、「大国主命(おおくにぬしのみこと)」や「大黒様(だいこくさま)」と聞けば、ピンとくる方も多いのではないでしょうか?そう、出雲大社のご祭神として有名な、あの縁結びの神様です!
大国主命は、たくさんの兄弟神たちからいじめられたり、試練を与えられたりしながらも、それらを乗り越えて国造りを成し遂げた、とても心の優しい、慈愛に満ちた神様です。因幡の白兎を助けたお話は、とても有名ですよね。 そのご神徳は多岐にわたり、「縁結び」はもちろんのこと、「商売繁盛」「五穀豊穣」「夫婦和合」「子孫繁栄」など、私たちの生活に密着した様々なお願い事を聞き届けてくださると言われています。
主祭神である建速須佐之男命が、災厄を打ち払う「厄除け」の力強い神様であるのに対し、相殿神の大穴牟遅命は、人々の幸せなご縁を結び、暮らしを豊かにしてくださる、穏やかで優しい神様です。この二柱の偉大な神様が共に祀られていることで、津島神社は、私たちの人生における「守り」と「育み」の両面から、力強くサポートしてくださる、非常に懐の深い神社であると言えるでしょう。
災いを遠ざけてほしいと願う時には建速須佐之男命に、良縁や日々の暮らしの豊かさを願う時には大穴牟遅命に、というように、心の中でお願い事を整理してお参りするのも良いかもしれませんね。もちろん、全ての神様に日々の感謝を伝えることが、何よりも大切です。津島神社を訪れた際には、本殿に祀られている全ての神様の存在を感じながら、心を込めて手を合わせてみてください。きっと、大きなご加護をいただくことができるはずですよ。
必見!津島神社でいただける絶大なご利益とは?
さて、津島神社に祀られている神様について詳しく知ったところで、次に気になるのは、やっぱり「具体的なご利益」ですよね!ここでは、津島神社でいただける代表的なご利益を3つに絞って、詳しくご紹介していきます。
なんといっても一番はコレ!「疫病除け・病気平癒」のご利益
津島神社のご利益と聞いて、何よりもまず挙げられるのが「疫病除け(えきびょうよけ)」そして「病気平癒(びょうきへいゆ)」です。これは、津島信仰の根幹をなす、最も代表的で強力なご利益と言えるでしょう。
この絶大なご利益の源泉となっているのが、先ほども詳しく解説した「牛頭天王(ごずてんのう)」への信仰です。建速須佐之男命と同一視された牛頭天王は、疫病を流行らせる恐ろしい側面を持つと同時に、手厚く祀る人々を疫病から守ってくれると信じられていました。医学がまだ発達していなかった時代、人々にとって疫病は死に直結する最も恐ろしい災厄でした。インフルエンザや天然痘のような感染症が一度流行すれば、多くの人々の命が奪われてしまったのです。そんな時代において、人々は目に見えない病魔の恐怖から逃れるため、神の力にすがるしかありませんでした。
そんな人々の切実な祈りに応え、救いの手を差し伸べてきたのが、津島の「天王さま」、すなわち牛頭天王だったのです。「津島の天王さまにお参りすれば、疫病から守られる」という信仰は、尾張地方だけでなく、瞬く間に全国へと広がっていきました。各地の港町や宿場町など、人の往来が激しく、疫病が広がりやすい場所に、津島神社から御祭神を分けて祀る「分霊(ぶんれい)」が行われ、全国に津島神社や天王社が建立されていったのです。その数が約3,000社にも及ぶという事実が、この信仰がいかに多くの人々の心の支えであったかを物語っていますよね。
織田信長や豊臣秀吉といった天下人が、こぞって津島神社を崇敬したのも、この「疫病除け」のご利益を求めてのことでした。特に、秀吉の母・大政所の病気が津島神社への祈願によって快復したという話は、そのご神威の高さを象徴するエピソードとして語り継がれています。
そして、このご利益は、決して過去のものではありません。現代を生きる私たちにとっても、健康はかけがえのない宝物です。自分自身の健康はもちろん、家族や大切な人の健康を願う気持ちは、昔も今も変わらない普遍的な祈りです。津島神社には、今もなお、病気の回復を願う人々や、家族の無病息災を祈る人々が、全国から後を絶ちません。
境内には、病気平癒を願う人々が奉納した、たくさんの絵馬やのぼりを見ることができます。その一つひとつに、人々の切実な祈りが込められているのを感じると、胸が熱くなります。津島神社を訪れた際には、ぜひ、この日本一とも言われる「疫病除け・病気平癒」のご神徳にあやかり、あなた自身とあなたの大切な人々の健康を、心を込めてお祈りしてみてください。きっと、力強い神様が、健やかな毎日を送れるよう、優しく見守ってくださるはずです。
厄を断ち切る!「厄除け・災難除け」のご利益
津島神社が誇るもう一つの強力なご利益、それは「厄除け(やくよけ)」と「災難除け(さいなんよけ)」です。このご利益は、主祭神である建速須佐之男命(スサノオノミコト)の英雄的な神格に由来しています。
スサノオノミコトと言えば、やはり八つの頭を持つ巨大な蛇「ヤマタノオロチ」を退治した神話が最も有名ですよね。この物語は、単なる冒険譚ではありません。ヤマタノオロチは、荒れ狂う川の氾濫や土砂崩れといった自然災害の象徴、あるいは人々を苦しめる疫病や悪しきもの、つまり「厄災」そのものを神格化した存在であると解釈されています。スサノオノミコトは、その圧倒的な力と知恵をもって、人々を脅かすあらゆる厄災を打ち祓い、平和と安寧をもたらした救世主、英雄神なのです。
この神話から、スサノオノミコトは、私たちの身に降りかかる様々な厄や災難を断ち切り、祓い清めてくださる神様として、深く信仰されるようになりました。人生には、時として思いがけない困難や不幸が訪れるものです。病気や怪我、仕事での失敗、人間関係のトラブルなど、自分の力だけではどうにもならない壁にぶつかることもあるでしょう。また、日本では古くから「厄年」という考え方があり、特定の年齢になると災難に遭いやすいとされています。
そんな時、スサノオノミコトの力強いご加護をいただくことで、私たちは困難に立ち向かう勇気と、災いを乗り越える力を得ることができるのです。津島神社にお参りし、「どうか私に降りかかる厄災を祓ってください」と祈ることは、ヤマタノオロチという巨大な困難に立ち向かったスサノオノミコトの、あの勇気と力強さにあやかることに他なりません。
特に、人生の大きな節目、例えば厄年を迎えた時や、新しいことを始めようとする時、あるいは最近どうも良くないことが続くなと感じる時には、ぜひ津島神社で厄祓いのご祈祷を受けてみてはいかがでしょうか。神職の方が厳かな祝詞(のりと)を奏上し、神様との仲立ちをしてくださることで、心に溜まった不安や穢れがすっきりと洗い流され、晴れやかな気持ちで新たな一歩を踏み出すことができるはずです。
もちろん、特別な節目でなくとも、日々の生活の安全や、家族が災難に遭わないようにと祈ることも、とても大切なことです。津島神社の力強い神様は、私たちが平穏無事な毎日を送れるよう、常に温かく、そして力強く見守ってくださっています。その大きなご神徳を信じて手を合わせれば、きっとあなたの進む道を照らし、あらゆる災いから守ってくださるでしょう。
その他のご利益もたくさん!開運招福・商売繁盛・縁結び
津島神社のご利益は、「疫病除け」や「厄除け」だけではありません。主祭神である建速須佐之男命(スサノオノミコト)と、相殿神である大穴牟遅命(おおなむちのみこと、大国主命)の持つ多彩なご神徳によって、私たちの様々なお願い事に応えてくださる、まさに万能のパワースポットなのです。
まず、建速須佐之男命のご利益から見ていきましょう。スサノオノミコトは、ヤマタノオロチを退治した後、櫛名田比売(くしなだひめ)と結婚し、出雲の地に宮殿を建てて暮らしました。その時に詠んだ「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」という歌は、日本で最初の和歌(三十一文字の短歌)とされています。このことから、スサノオノミコトは「和歌の神様」としても崇められており、「学業成就」や「芸能上達」のご利益があると言われています。何かを学びたい、自分の才能を開花させたいと願う方にとって、心強い味方となってくださるでしょう。
また、スサノオノミコトは、荒々しい一面だけでなく、植林を推奨し、農耕や産業の発展にも貢献した神様とされています。このことから、「五穀豊穣」や「商売繁盛」といった、私たちの生活の基盤を豊かにするご利益もいただくことができます。事業をされている方や、これから新しいビジネスを始めようと考えている方にとっても、力強い後押しとなるはずです。
そして、忘れてはならないのが、相殿に祀られている大穴牟遅命、すなわち大国主命のご利益です。出雲大社の神様としてあまりにも有名な大国主命は、なんといっても「縁結び」の神様として絶大な人気を誇ります。この「縁」とは、男女の恋愛のご縁だけを指すのではありません。家族との縁、友人との縁、仕事仲間との縁、そして私たちの生活を豊かにしてくれる全ての物事との良縁を結んでくださるのです。
新しい出会いを求めている方はもちろん、今の人間関係をより良いものにしたいと願う方、良い仕事やチャンスに巡り会いたいと願う方など、あらゆる人々にご縁の福を授けてくださいます。大国主命は、多くの試練を乗り越えて国造りを成し遂げたことから、「開運招福」や「事業繁栄」の神様としても信仰されています。
このように、津島神社は、厄を祓い、災いを遠ざける力強い「守護」の力と、人々の暮らしを豊かにし、幸せなご縁を結んでくれる「育み」の力の両方を兼ね備えた、素晴らしい神社なのです。健康、仕事、人間関係、学業など、あなたの心にある願い事を、ぜひ津島神社の神様方に打ち明けてみてください。きっと、それぞれの神様が、あなたの願い事に合った形で、優しく応えてくださるに違いありません。
まとめ
いかがでしたでしょうか?✨
今回は、全国約3,000社の津島神社・天王社の総本社である「津島神社」について、祀られている神様やご利益、その歴史などを詳しくご紹介しました。
津島神社の神様は、ヤマタノオロチを退治した英雄神「建速須佐之男命」であり、疫病を司る「牛頭天王」と同一視されてきた、非常に力強い神様です。そのご利益は、なんといっても「疫病除け・病気平癒」「厄除け・災難除け」が絶大で、古くから多くの人々の命と暮らしを守ってきました。
さらに、相殿には縁結びの神様「大国主命」も祀られており、商売繁盛や開運招福など、私たちの幅広いお願い事を聞き届けてくださる、本当に懐の深い神社です。
この記事を読んで、「津島神社に参拝してみたい!」と思っていただけたら、とても嬉しいです😊 実際にその場に立つことで感じられる、清らかで力強い空気は、きっとあなたの心に活力を与えてくれるはず。ぜひ一度、足を運んでみてくださいね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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